2014年6月30日月曜日

2014.6.29 伝統と技術

伝統とはなんだろうか。伝統とスポーツは共存するのだろうか。
 
ムエタイは、タイの一つの伝統的なスポーツだとよく言われる。
今回のcampでも、ムエタイのレクチャーが始まる前には必ず儀式から始まり、レクチャーの最中も儀式が挟まれ、儀式で終わる。 1日のレクチャーの3分の1は儀式についてのレクチャーに使われるくらいだ。それくらいに、ムエタイは儀式を重んじている。昨日かおとといにムエタイの試合を見に行ったときも、あるボクサーは相手ボクサーがすでにリング上に上がっているのにも関わらず、リング下で長い間合掌をしていた。また、毎試合、このcampで習った儀礼が行われる。儀礼から始まるムエタイは、一旦試合が始まると、ムエタイはスポーツと化す。
お互いが殴りあっているシーン(技の型とは無関係に)をよく目にした。

伝統に技術は入り込むことができるのだろうか。 なぜなら、伝統は論理を持ち込まないもの、一方で技術は論理を持ち込むものだから(と思うから)。
ムエタイのようなスポーツの場では特に伝統と技術のせめぎあいがみられるような気がする。つまり、スポーツの側面(技術的な側面)としてのムエタイと、伝統の側面としてのムエタイのせめぎあい。技術は伝統のなにを変えていくのだろうか。また、伝統は技術の何を排除するのだろうか。                        

「伝統は作られる」という議論は観光の文脈でよく見る。観光開発と伝統。これも伝統とテクノロジーのせめぎあい。
しかし、スポーツの場から見た伝統とテクノロジーのせめぎあいはどう見えてくるのだろうか。テクノロジーが世界を席巻していった近代社会を、タイのムエタイやセパタクローのスポーツから見ることはできないだろうか。

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